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第十章 集落史(内野)


第十章 集落史(内野)
(2021年12月2日更新)

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内野

 

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県道五十二号線(新田-行合野)の田嶋神社前から南に走る県道三十二号線を中軸にして内野の盆地が開ける。掌形の農山村特有の圃場は主とする稲作の他にキュウリやイチゴ等のハウス栽培が行われていて今日的な農業経営の姿をうかがわせる。

東・南・西の(ひづめ)状に連なる丘や山は、杉などの植林がなされているがモウソウチクの竹林が点在し各家々の庭先には柿の木など植えられ四季を通しての豊かな生活環境に恵まれている。

内野の歴史をひもとくと、慶長絵図(豊臣秀吉-徳川家康・秀忠のころ)には、「内野村・波多津ノ内」と記名がある(日本歴史地名体系-佐賀県の地名より)

文化年中記録によれば「畝数十五町二段二畝八歩半」とある。当区内の真宗大谷派(ほう)(とく)寺開基の空円は、波多三河守の家臣・井手野の新久田城主井手飛騨守橘度源で、西念(さいねん)寺(現大坪町)も建立したという記録もある。

この記録には隣接の畑津村、中山村の記録もある。

松浦拾風土記によると内野村は、畑川内村、花房村、長尾村、真手野村、重橋村、谷口村、畑津村、辻村、畑津浦、馬蛤潟新田と共に畑河内組に属している。

なお煤屋村は黒川組に属し、板木組には、板木村、主屋村、津留村、中山村、田代村、井野尾村、筒井村、木場村、杉野浦村、湯野浦村が含まれている。

松浦拾風土記による内野村の記録が次のように掲げてある。

一、田畑高 二百八石六斗五升五合

畝数 十五町二段二畝八歩半

石高 百四十七石六斗二升五合

石盛 田 二石六斗ヨリ一石迄

御免六ツ三分二

畑 一石二斗ヨリ三斗迄

家数 五十一軒 一軒ニ五人三分

人数 二七〇人 内 百五十六人 男

百十四人   女

氏神 天満宮 祭礼 十一月十七日 徳末 堤出雲

牛 六疋 馬 六疋 威鉄砲 一挺

東本願寺末寺 光月山法德寺 開基 寛永十六巳卯年 空園法師

 

小学生のころ、波多津小学校の南、波多津川にかかる木橋を渡って通称権現山に数名の友達と何度か遊びに行ったことがある。

すると、その山中にこけむした古い石垣の(やしろ)の跡があるのを気づいていた。成人してから調べてみると確かに権現さんと言う飯盛神社跡であった。

また、集落の北に位置する下田は集落の中で広々とした圃場で美田が畳を敷き連ねた様に広がっているが、その昔天満神社が在ったことを庄屋記に記されているようだ。

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昔の村々(現在は殆ど区)には伊勢皇太神宮を祀る社があり現在も区の祭祀(さいし)の伝統的な一 大行事であるが、当区では字・土屋・通称よこみちにその森がある。

小高い森は、社の長い歳月を物語るようにタブノキやアラカシなどの巨木が茂り神域をただよわせている。

中心になる碑は自然石であるが碑文は解らないように風雪に風化されているが、皇紀二千六百年を記念して整備された。主碑と並び菅原道真公を(まつ)る天満宮の碑が並んでいるの は、菅公の至誠、学問への崇敬の念を心した区民の表れでありましょう。

この社を区の老人クラブで毎月清掃され区の象徴の森となっている。

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太平洋戦争の名残りとして区の公民館入口南側に大きな忠霊碑が白い石英の台座の上に輝いている。陸軍を表す星のマークと海軍を表す錨のマークを重ねた印は特に印象的に光っている。心して(たた)ずむと、昔日の想い出がほうふつと甦る。

「聞け海神(わだつみ)声」-海ゆかば みづくかばね 山ゆかば 草むすかばね…太平洋の戦域の当時のニュースを思い出す「麦と兵隊」は(ふる)き時代の者よく歌ったものだ。

戦友(とも)を背にして道なき道を 往けば戦野は夜の雨 すまぬすまぬを 背中に聞けば

馬鹿をいうなとまた進む…

碑中には戦没者の名前が並ぶ、あの人、この人、若い日の想い出を探ろうとすると時間が過去の時代を追いすがる。

区では春と秋に二回慰霊祭が行われる。

公民館と向かい合わせの道路東側に道路改修記念碑が建っている。元の消防倉庫横で、ほぼ区の中心点にあたり、字内野の法徳寺方面への道の交叉点に在る。三岳産と思われる玄武岩の柱状節理に碑文が刻まれ全戸に亘る寄付者名が広く連ねてある。

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道路改修記念碑 解説碑文

地方文化ノ興隆民衆ノ福利ハ交通ノ発達二俟ツコト大ナリ  

区民之ヲ望ムコト久シ                    

気運茲ニ熱シ第一期事業トシテ昭和五年二月ニ起エシ   

同六年三月ニ至り田嶋神社前ヨリ字材木間壱千七十有余間   

ヲ竣エス 

※書 元小学校長(内野) 藤本東三郎先生

※寄付者芳名  小杉定治 八拾円 他 全戸

 

波多津川の支流内野川は今も清流をもって区内を南北に縦貫する。上流付近にはホタルが夏の夜を彩る。

川にはハヤやフナが渕にすむ。古き時代、花房より歩いて波多津尋常高等小学校に通勤されていた先生はハヤ釣りの名人で土曜の帰途釣りを楽しんでおられたことがエピソードとして残っています。

内野区に北より少し入った字・原には石材屋さんがあり、ハイテクの方法で形成した色々の石像が並んでいるのに目を引く。

楽かな自然美溢るる農村の中で時代を駆使した製法また、人々のニーズに合った耕作など新しい息吹を見ることができます。

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