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第十章 集落史(中山)


第十章 集落史(中山)
(2021年11月29日更新)

 中山

四方を山に囲まれた三十九戸の小さな集落です。専業農家二戸、兼業農家三十六戸、会社勤務一戸、人口男九十名、女子八十六名、計一七六名です。田は十九町歩余、畑一町歩余、山林約七十町歩、梨園十町歩 十三戸が経営 、密柑五町歩余 七戸 、桃園五反(五戸)、キュウリ四反(五戸)、肉牛一四〇頭(五戸)、牛十頭(二戸)、豚一三〇〇頭(四戸)といった産業の概略です。昭和五十五年、反対もありましたが、思いきって通した広域農道が起爆 剤となって、更にいろいろな農業による生き方を模索して頑張っています。(平成四年現在)

一、山の歴史

(1)城山

城山は村の裏手、西平(にしひら)にあり、さほど高くはありませんが驗しい山です。頂上は四十坪程の平地で、昔、城があったそうです。現在は基盤整備事業のおりに立てられた四角柱が立っています。昔、二十六夜様の祭りには、太鼓や鉦をかついで登り酒盛りをしていましたが、今は止められています。

(2)立石山

小字立石にあり、昔、牛神様を祀ってありましたが、明治四十三年神社統合によって大山祇神社に合祀されました。牛神様のある頃、祭りの日には村中総出で一重を携帯して登り、お祭りしていたそうです。

(3)大国山

標高一七二m、字大国にあり、中山で一番高い山です。昔は見事な大国山の松林も、松食虫にやられ、いまは見る影もなくなっています。

二、河川など

(1)中山川

この川は、主屋から中山のお宮までが三級河川、その上流は普通河川です。基盤整備がされて河川も大分変わりました。別に蔭谷川・五位ノ木川があります。

中山川の中に昔は地蔵堰・上の川堰という大きな堰がありました。両方とも子供たちの格好の水泳場で、洗濯や洗いものもこの堰でやっていました。また地蔵堰と上の川堰の中間に別当川があります。ここでは、昔、お城があった頃、別当が馬を洗っていたところだと言われています。

(2)飲料水

中山できれいな水が出る所は、油屋の裏の井戸水でしたが、今では使われていません。また、田中友一宅の裏にあった清水は、冷たくてうまく、夏は村人が好んで飲んだもので、現在もあります。

カノキ原の出水も有名です。湧き水が豊富で、十軒ほどの家が飲料水や使い水としていました。松尾直宅の下に湧き出ています。

(3)溜池

中山には溜池が三か所あります。柿の内溜、本耕地溜、塩鶴溜です。

柿の内溜は中ノ耕地にあって、中山で一番大きな溜池です。この溜池は、昔から度々修理されてきましたが、村人の修理では再び悪くなり、昭和五十五年から四か年の歳月をかけて、農業基盤整備老朽溜池整備事業として工事が進められました。今では、堤高五・八m、堤長四十八m、貯水量九万九千立方メートルの立派な溜池となって、約十町歩の水田をうるおしています。

ほかの本耕地溜は、約五町歩の田に、塩鶴溜は約六町歩の田に水を注いでいます。

三、古跡

(1)城山

前述の城山に、昔、城があったと言われています。城には西の方から馬で登っていたそうです。城の麓に約三畝程の寺屋敷の跡があります。延徳四年(一四九二)頃のことだそうです。

(2)的場の越し

公民館の上の山を呼び、城山から弓や鉄砲の練習をする時に的をおいた所とされており、今も塹壕の跡が残っています。

(3)唐津焼窯跡

俗に「かまやき」と呼ばれ、東木場にあります。約三百五十年前に唐津焼が焼かれたそうです。盗掘されていますが、石臼四個のほか、付近茶碗のかけらがみられます。後に南波多の椎ノ峯に移ったそうです。

四、大山祇神社(第七章 宗教の項參照)

五、浮立

中山の浮立は、二〇〇年も前から始まっているそうです。記憶に残るのは、昭和三年昭和天皇御大典の時浮立をだすことになり、南波多の原屋敷から師匠を招いて習いました。

当時、富永定美・田中勇が十三歳、田中友一が十八歳でした。内容は、サンバ、五信鬼太鼓、エビス大黒、武者、矢ノ根、猿廻し、花切り、道行、ツメ太鼓等でした。その後は、初盆詣り、夏大祭等に鳴らしておりましたが、いつの間にか絶えてしまいました。戦時中に、尺三寸、八寸、九寸と大きい鉦から供出しました。

昭和六十二年、当時の区長古賀輝夫が、中山の浮立を復活させたいと村の会議に提案し、満場一致で可決しました。こうして太鼓も修理され、鉦も買い求め五個が揃いました。笛は個人で大事に保管しています。平成二年の秋の大山祇神社大祭に出場するため、一生懸命練習しました。その後は忘れられたように、浮立が立つことはありません。

六、教育に尽くした人々

中山出身の教育者には、田中宗太郎、坂本吉兵衛、中山豊次郎、田中東吉、松尾加助等多士済々、すぐれた指導力をもって、町内外の教育に貢献されました。  (第六章参照)