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表紙・目次


表紙・目次
(2021年11月12日更新)




表紙・目次

第一章 地名「波多津」の由来

第二章 波多津の自然 
 第一節 位置 
  一、位置 
  二、面積 
 第二節 歴史にみる伊能忠敬の波多津測量 
 第三節 地形 
  一、屈曲に富む海岸線 
  二、東部の行合野川流域 
 第四節 地質
  一、佐世保層群 
  二、畑津頁岩層 
  三、畑津砂岩層
  四、行合野砂岩層 
  五、佐里砂岩層
  六、杵島層
  七、火成岩
 第五節 植生
  一、植物層のあらまし
  二、波多津町の植物 
 第六節 気候(気象) 

第三章 人口・世帯 
 第一節 旧藩時代以来旧記にある人口の推移
  一、唐津藩時代の人口
  二、明治時代以降の波多津の人口
 第二節 人口の推移
 第三節 世帯数の推移

第四章 歴史
 第一節 原始時代
  一、時代区分
  二、先縄文時代
  三、縄文時代
 第二節 地名と歴史
  ○木場の三十六石 
 第三節 波多氏時代 
  一、源頼光―渡辺綱の西下と筒井
  二、波多氏の起源と岸嶽城築城
  三、波多家の滅亡
  四、波多家と波多津
 第四節 唐津藩政時代
  一、藩政時代の概要
  二、唐津藩主歴代
  三、庄屋制度
  四、農民対策
  五、主屋文書
  六、唐津領惣寄高(波多津関係)
 第五節 明治以降
  一、唐津藩知事時代
  二、行政区画の変遷と庶政の刷新

第五章 行政
 第一節 大岳村誕生 
 第二節 村名改称「波多津村」となる
  〇村役場と新庁舎
 第三節 町村合併で伊万里市となる
  一、郡・町村制の変遷
  二、経過 
 第四節 歴代村長・助役・収入役 
 第五節 波多津村村会議員名簿
 第六節 伊万里市会議員(波多津町)
 第七節 明治四十一年以降区長

第六章 教育・文化・民俗
 第一節 寺子屋教育 
 第二節 幼児教育 
  一、波多津東幼稚園 
  二、波多津保育園
 第三節 学校教育 
  一、波多津小学校
  二、波多津東小学校
  三、波多津中学校
 第四節 社会教育
  一、社会教育の歩み
  二、青年教育
  三、育友会(PTA)
  四、子どもクラブ
  五、青年団
  六、婦人会
  七、老人クラブ
  八、体育協会 
  九、波多津公民館
 第五節 波多津の教育を支えた人たち
 第六節 文化
  一、石造文化
  二、文学
  三、ふるさとの言葉
  四、民俗
  五、風習
 第七節 波多津町の名字
  一、集落別世帯数並名字数(町内一軒だけの名字は別記)
  二、複数使用のうち一集落だけの名字
  三、町内五十四軒は一つ名字

第七章 宗教 
 第一節 神社・寺院 
  一.神 社 
  二、寺 院 
  三、おこもり堂
 第二節 英霊を祀る

第八章 産業 
 第一節 農業 
  一、農具と農法
  二、農作物の耕種 
  三、農作物の移り変わり
  四、農家のくらし
  五、畜産 
  六、製紙業(紙すき) 
  七、波多津における農民の協同組織の歴史
  八、農業の現状と今後の課題
  九、馬蛤潟新田と力武新田沿革 
 第二節 漁業 
  一、唐津藩時代の波多津の漁業
  二、波多津の漁業組合の沿革
  三、波多津の初期の漁業
  四、波多津の延縄漁業
  五、波多津漁港改修工事
  六、釣漁
 第三節 林業

第九章 人物

第十章 集落史

 ・木場

 ・筒井

 ・井野尾

 ・田代

 ・板木

 ・津留主屋

 ・中山

 ・畑津

 ・内野

 ・煤屋

 ・馬蛤潟

 ・辻

 ・浦

資料
あとがき
主な参考文献
波多津町誌編集委員会
正誤表

(題 字  藤田 平太)

(見開き絵 古河 吉村)

発刊のことば

もうかれこれ四半世紀にもなろうとしていますが、私は昭和五十年に波多津小学校創立百周年記念誌の編集に携わったことがありました。その作業を進めながら、同校百年の歴史は同時に同校を支え続けた波多津町民の百年の歴史でもあると思いました。その思いはさらに発展して波多津小学校の百年の歴史だけにはこだわらず、波多津町全体の地形や気候、主な文化財や歴史的事象などについても許される範囲で収録しておきました。

その後、波多津町誌への私の思いは止みませんでした。太古の昔から現在までのさまざまな歴史的事象をできるだけ詳しく正確に書き残し、後世に伝えたいとの願いは日々に募りました。そこで、町内に在住されている十数名の有志の方々に私の熱い思いをお話し申し上げたところ、等しく賛同していただきました。

私がこの一冊に収録した内容は「地名・〈波多津〉の由来」「波多津町の自然」「人口、世帯」「歴史」「行政」「教育・文化・民俗」など多岐にわたります。それぞれの細部について文献や遺物で調べ、考証し、記述してゆく作業は思いのほか大変なものでありました。頼りにしていた有志の方々もこの十年ほどの間にほとんどが他界され、私自身の老齢化と相俟って作業は遅れに遅れました。

この作業を始めてから間もなく、思いもかけない朗報にも接しました。畑津の田嶋神社の本殿が室町時代の建立と分かり、昭和六十二年六月に国の有形重要文化財に指定されたことです。このことで私が強く感じたことは波多津町はまさに誇るべき先人の業績と価値の高い文化財の宝庫であるということでありました。私たちが見聞できる業績や文化財は一朝一タでできあがったのではありません。先人が長い間営々として励み残してくださった大切な遺産であると思います。

かつてはもの静かで平穏であった波多津町にも、近年、社会的変貌の大波が押し寄せています。道路網の整備や住宅事情の改善が進む一方、少子化や過疎化の問題は大きな悩みです。学校教育で言えば、平成十年四月波多津東小学校が新築移転しましたが、波多津中学校は黒川中学校と統合して平成十二年四月には新しい学校として出発することになっています。これも時代の流れというものでありましょう。

今年は西暦で一九九九年。まさに世紀末です。二年足らずで新しい時代の二十一世紀を迎えます。丁度この期に「波多津町誌」を刊行することができることを心から感謝いたします。郷土の歴史に誇りを持ち、郷土を愛し続ける「波多津の人」が数多く育ってくれるようにという願いを込めて、私はこの一冊を編んだつもりです。長く教職に身を置いた者の、或いは欲ばった考えかも知れません。

願わくばこの一冊が町内各家庭での団欒の具として利用され、波多津町の「すばらしさ再発見」の拠りどころとなり得れば誠に幸いです。また、ゆえあって波多津町を離れ遠隔の地に在られる方々にも故郷を偲ぶよすがとなれば望外の喜びであります。以上、万感の思いを込めて「波多津町誌」刊行のことばといたします。

平成十一年三月三十日

波多津町誌編集委員長  藤田 平太

お祝いのことば

波多津町は、豊かな自然と古い歴史を持つまちであり、その歴史は波多津東小学校の北部丘陵から縄文時代前期の曽畑式土器が出土したことからみても、少なくとも今から五千年ほど前から先人の営みがあったことが明らかになっています。また、同じ町内の畑津には、室町時代に建てられた田嶋神社本殿があります。この田嶋神社本殿は県内に残る社殿建造物としては最古のものとされ、昭和六十二年に伊万里市内では唯一、国の重要文化財に指定され、伊万里市民の誇りとなっています。

そのほか、有形・無形の文化遺産が多数残っており、これらの文化遺産は波多津町の歴史・文化の個性を物語る重要な遺産であるとともに、これからの新しいまちづくりをすすめるための有益な財産でもあります。

特に地方分権が本格化しようとしているとき、町誌の発刊は、地域の個性や特色に光をあて、それを地域の活性化に生かす上でも、有意義な取組みだと思います。

また、これらの文化遺産は、町民の皆さんの心のよりどころともいえるものであり、多くの史跡やまつりは、言わば町民皆さんの「まほろば」の原点であります。したがってこの「まほろば」の歴史を集大成された、波多津町誌は、まさに関係の皆様の熱意と努力の結晶として、高く評価されるべき労作であります。

ここにこの町誌の発起から調査や研究、そして執筆に至るまで並々ならぬご苦労と多大なご努力を重ねられました、波多津町誌編集委員会はじめ執筆委員の皆様、並びに関係者の方々に対して心より敬意を表する次第であります。

伝統的な地縁社会が崩壊しつつある今日、地域の伝統と誇りを後世に語り継ぐことの重要性を再認識され、今後、本書が新たなる波多津町を創造するための基本資料としても活用されることを期待してやみません。

 結びに、波多津町誌編集委員会の藤田平太会長さんをはじめ、委員の皆さんのご努力に対し、重ねて深甚なる敬意と祝意を表し発刊にあたっての祝辞といたします。

平成十一年三月吉日

伊万里市長 川本 明