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波多津町について


波多津町について
(2018年10月16日更新)

波多津町の紹介

1.町民憲章

前文

 わたしたちは、波多津町民であることに誇りを持ち、「波多津を学び、波多津を語り、波多津を創る」という「三つの誓い」を掲げ、より豊かで潤いのある町にすることを願い、この憲章を定めます。

  1. わたしたちは、豊かな自然を大切にし、感動ある体験を通して、豊かで潤いのある感性を育みます。
  2. わたしたちは、お互いにあいさつを交わし、共に助け合い、明るく活気のある町づくりに努めます。
  3. わたしたちは、伝統文化を大切にし、夢と希望あふれる未来を創ります。

2.町のシンボルマーク・花・木

シンボルマーク

町の花(桜の花)

町の木(桜の木)

 

 シンボルマークの青の部分は「豊かな海」、緑の部分は「豊かな大地」、中心の赤の部分は
 「住民の団結と活力」を表し、全体で波多津の頭文字の「H」を表しています。

(製作者 波多津町浦 田中ひとみさん)

3.町の概要

 明治22年(1889年) 市町村制施行により、大岳村となる
 明治33年(1900年) 村名が、波多津村に変更になる
 昭和29年(1954年) 2町7村合併により、伊万里市となる
 昭和48年(1973年) 波多津公民館、現在地に建設される

  • 人口   2,100人(男 1,020人、女 1,080人) 令和2年4月1日現在
  • 世帯数  798世帯
  • 面積   32.50平方キロメートル

4.波多津町の観光案内

高尾山

 波多津町の人にとって、高尾山というところは特別な思いがあるところで、心のシンボル的な場所であります。昭和30年代、ソメイヨシノなど1,000本の桜の満開時には、市内髄一の桜の名所として多くの観光客が訪れ、展望台からは眼下に箱庭のようなイロハ島や七ツ島の美しい光景が広がり、絶景の場所でもあります。台風等の被害や老木化して昔の面影もなく、周りの杉、桧が繁茂して見晴らしもきかないという状況になってしまった時期もありましたが、現在、住民あげてボランティアで、高尾山会やプロジェクト高尾山などが結成され、昔の高尾山復活を合言葉に、奉仕作業や若桜の植樹等の活動が行われています。

 ※写真は、高尾山公園の展望台からの景色

波多津港みなと祭り

主催:波多津みなと祭り実行委員会
開催時期:10月上旬
内容:海鮮バーベキュー
   ろ漕ぎレース大会
   花火 など 

 ※写真はろ漕ぎレース、海鮮バーベキューの様子

波多津くんち

波多津くんちは、波多津町畑津にある田嶋神社の秋祭りで、田嶋神社から浦の漁港まで神輿が神幸します。港の岸壁には、しめ縄が張られ仮宮(お旅所)がしつられられます。お旅所では、豊作や豊漁に感謝する神事が行われます。浦の女相撲甚句が披露されたり、大鯛が飾り付けられた曳山が奉納されたりして、氏神をもてなします。(伊万里市史より)

波多津くんち

はたつふれあい広場

主催:NPO法人 まちづくり波多津
開催:毎週土、日(10時から16時頃まで)
内容:魚介類のバーベキュー
   農産物の直売
   カキ焼き(11月頃から4月頃まで)

波多津ウォーク

主催:波多津ウォーク実行委員会
開催時期:3月下旬
桜がきれいな高尾山や潮の香りがする波多津漁港など自然豊かな波多津町を歩いて 巡ります。歩き終わった後は、波多津産の素敵な商品が抽選でもらえる「波多津のうまかもん大抽選会」等もお楽しみいただけます!

あぐり山の風景

抽選会の様子BBQの様子

5.伊万里のお宝50選(波多津町分)

田嶋神社本殿(たしまじんじゃほんでん)

 国指定重要文化財(昭和62年6月3日指定)
宗像三女神を主神とし、9神を祀る神社です。

 本殿は三間社流見世棚造(さんげんしゃながれみせだなづくり)と呼ぶ建築形式で、覆屋の中にある。元は朱塗りの彩色社殿で、建立年代は建武年間と伝わるが、少なくとも15世紀以前と考えられます。県内最古の神社建築で、簡素ながら優れた建築です。

田嶋神社

アグリ山の監視哨(かんししょう)

 監視哨とは、戦時中、日本に来る敵の飛行機や船などをいち早く発見し、軍の作戦室に連絡する施設のことです。昭和18年(1943)に、アグリ山に監視哨の工事が始まり、波多津小学校上級生および村内の人々の奉仕作業と協力があり、1階に仮眠室、2階に監視所が作られました。哨舎は当時、県下に誇る優秀なものであり、県庁への直通電話もつながっていました。しかし、度重なる召集により人員確保が難しく、また、戦局の不利な状況により、昭和19年(1944)の半ばに、2階部分を取り壊し、壕(ごう)を掘り、監視を続けていました。しかし、間もなく戦争が終わり、記念碑を建てて、永久にその名を残すことになりました。

亥の子づき(いのこづき)

 旧暦十月亥の日に行われる石づき行事です。旧暦十月が十二支の「亥」の月にあたるので、多産なイノシシにあやかって、豊作をもたらしてくれた田の神に感謝する行事です。波多津町木場(こば)、筒井、井野尾、田代、畑津(はたづ)の五地区で行われています。子どもたちが地区の家々を回り、縄の付いた石で「石づき唄(うた)」を歌いながら地面をつきます。筒井では初子(はつご)の氏子入りを祝うため、長男が生まれた家だけを石づきしてまわります。井野尾では全戸を石づきしてまわります。特に嫁の来た家は長く居座るようにと念入りにつきます。建物の基礎を石づきして地固めすることからの発想と思われます。

西雲寺下の時計台

 波多津町木場にあります。昭和4年(1929)、昭和天皇即位記念として設置されました。当時、屋外の時計台は珍しく、共同農作業の時刻を知らせるためなどに活用され、長い間、区のシンボルとして愛されました。写真は当時の様子の復元です。