本文にジャンプします
メニューにジャンプします

地域の情報


地域の情報
(2018年5月31日更新)

1.町民憲章

 私たちは、「仲良く!楽しく!元気よく!」をスローガンに、

支え愛・学び愛・活かし愛

の豊かな心で、豊かな住みよいまちづくりをめざし、

次のように町民憲章を定め活動します。

  • 仲良く!   人々が支えあう人情あふれるまち 立花
  • 楽しく!     心豊かに安全で住み良い待ち 立花
  • 元気良く!  みんなが生き生きと活力のあるまち 立花

2.立花地区の木・花

木   なんきんはぜ

 立花地区のメインストリートの一つである市道平尾・脇田線には

街路樹としてなんきんはぜが植栽されており、

春は新緑・夏は青葉・秋は紅葉と季節々に道路に美しい彩を添え、

特に紅赤色に染まる秋の紅葉は素晴らしい。また、なんきんはぜは、

土地を選ばない根付きが良い強い木であり、

住民のたくましい健やかな成長と地区の発展を願うものである。

花    ふじ

立花地区は「伊万里富士」といわれる

腰岳の眼前に広がっており、

立花コミュニティセンターには開館当初

 

から「ふじ」が植えられています。

また、ふじの花言葉は「協調」であり、

住民が助け合い協力して

住みよいまちづくりを目指します。

ふじ写真

 

町の(コミュニティセンター)のシンボルマーク

立花の「立」の字と「人」を図案化したもので、

町民の躍動感と町民の融和を表現しています。

立花公民館が開館した平成15年に
有田工業高校デザイン科の生徒さん(立花地区出身)が考えた作品です。
立花地区が参加する行事には、このマークの旗は必需品です!

3.立花地区の概要

立花地区関係の主な出来事

 昭和29年 4月 2町7村合併により、伊万里市となる
 昭和45年 3月 市庁舎の位置立花台に決定
 昭和46年 5月 研総合庁舎坂口台地に完成
 昭和48年 8月 新市庁舎へ移転
 昭和50年 4月 伊万里バイパス開通
 昭和55年 3月 立花保育園完成
 昭和59年 4月 立花小学校開校
 平成15年 4月 立花公民館開館

 令和2年  4月 立花コミュニティセンターに変更

位置・地勢・特性

 立花地区は、伊万里市の中心部に位置し、9行政区で構成されています。平成15年4月1日に大坪地区から分離独立するまでは、大坪地区として行政、文化、スポーツ面などで共に活動を行ってきました。立花、大坪以外の町では全て町単位が基本になっていますが、立花町内には大坪地区の行政区があり、その関係で「立花地区」という呼称を使っています。
 立花地区の最大の特徴は、市役所をはじめ、官公庁や主要な機関が集中していることが挙げられます。交通は、JR・MR伊万里駅をはじめ、国道202号線、市道1号線である平尾・脇田線などが縦横に走っており、路線バスや「いまりんバス」が走行しています。

駅写真
伊万里駅

市役所写真
伊万里市役所

 

消防署写真
伊万里消防署

バイパス写真2国道 202号線

 

写真6
市道 平尾脇田線

写真4
総合庁舎

立小写真
立花小学校

写真7

立花地区の成り立ち

 江戸時代からあった集落は「町裏」の新天町や中井樋、農村地帯であった富士町、渚のみであり、立花台1~4丁目、南ヶ丘は昭和42年の水害後の伊万里川拡幅に伴う移転住宅や市営・県営住宅の建設、民間資本による住宅開発地区です。さらに、市中心という地理的特性により、民間アパート、マンションが立地し、昭和40年代を境として、大きく様変わりをしてきました。

人口等の推移

 昭和40年代を境として、行政区が増加し、人口も急激に多くなり、新天町や立花台1~4丁目、南ヶ丘は人工集中地区となっています。立花地区総人口の伊万里市総人口に占める率は11.7%となっており、伊万里町に次ぐ人口密度を占めています。世帯数についても同じように増加しているが、アパート等が多いため、1世帯当たりの人口は少ない。 市内の高齢化率(65歳以上の人が市内総人口に占める割合)は、24.6%であるが、立花地区については16.4%と一番低い数字となっており、小中学校が他町では統合されていくなかで、伊万里中学校や大坪小学校の分離が行われたように、比較的若い世代が多い地区と言えます。

  • 人口   7,813人
    (男 3,723人、 女 4,090人)
  • 世帯数  3,595世帯  (令和3年4月1日現在)

4.伊万里のお宝50選

伊万里富士(腰岳)

 市街地の南側に位置し、標高は487mです。

伊万里町側から望むと、きれいに富士山形をした休火山で、

太古に噴火口から噴出した流紋岩が山頂部を形成し、

緑の間に万年雪のように白く輝き、

背後の青螺山せいらざんの猛々しい山並みと重なって絶妙の風景を見せていきます。

古くから松浦富士とも伊万里富士とも呼ばれ、伊万里人自慢の一つです。

山の東側に鍋島藩の牧場跡や弁財天様(べんざいてんさま)、

西側にはトラピスト修道院、千畳敷があり、中腹には千本桜等をかかえています。

また、縄文時代の鏃(やじり)など、石器の原料となった黒曜石を産します。