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山ン寺遺跡

山ン寺遺跡
(2008年6月10日更新)
市指定史跡
山ン寺遺跡
(やまんてら いせき)

東山代町川内野字山ン寺(伊万里駅より車で60分)  
昭和49年(1974)3月7日指定

山ン寺を開いた源直の墓と伝えられる宝篋印塔

 山ン寺遺跡は文殊原高原(もんじゅはるこうげん)の西端、標高約450m付近にあります。約1万平方メートルの面積があり、中世の山岳寺院を中心とする宗教遺跡と、現代までの信仰地が重複しています。
 遺跡には、源直(みなもとのなおす)夫妻の墓、源久(みなもとのひさし)の遥拝墓(ようはいぼ)、源清(みなもとのきよし)の遥拝墓と伝えられる宝篋印塔(ほうきょいんとう)や、中世末から近世の五輪塔(ごりんとう)群・宝篋印塔群などの石造物、建物跡、土塁(どるい)、石塁(せきるい)、石積み遺構などがあります。
 平安時代の久安(きゅうあん)年間(1145~50)に松浦党の二代、源直が館を築き、総持寺(そうじじ)を創建し、初代、源久の霊をまつり、松浦党一族の宗廟(そうびょう)にしたといわれてきました。
 しかし現存する石造物の中で最も古いのは、源久の遥拝墓と伝えられる宝篋印塔で、室町時代中期のものです。建物跡も、旧地形の緩斜面(かんしゃめん)を枡形(ますがた)に掘り下げて造成する室町時代頃の手法を用いています。昭和56年(1981)と昭和57年(1982)の発掘調査でも、おもに14世紀後半から16世紀前半頃の遺物が出土しました。このため遺跡のはじまりが平安時代にさかのぼる可能性は低いと思われます。
 出土遺物は、中国や朝鮮半島、東南アジアでつくられた陶磁器片が多く含まれていました。海を舞台に活躍した水軍、松浦党の人びとがもたらしたものと思われ、山ン寺遺跡が松浦党にゆかりの重要な宗教遺跡であったことを示しています。