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久原の大念仏


久原の大念仏
(2008年6月10日更新)
市指定重要無形民俗文化財
久原の大念仏
(くばら の だいねんぶつ)
山代町久原 (伊万里駅より車で25分)
平成6年(1994)3月25日指定

久原の大念仏(写真提供 中野隆三)

 久原の大念仏は久原(くばら)地区に伝わっている念仏踊りです。大念仏は、昭和14年(1939)には、旧山代郷(東山代町・山代町)の8地区で行われていました。現在は久原と東山代町の脇野の大念仏だけが伝えられています。
 旧山代郷では大干ばつの際、雨乞いの最後の手段として、東山代町里地区の青幡(あおはた)神社に奉納してきました。干ばつのような自然災害は、御霊(ごりょう…不慮の死をとげた人の魂)の祟りによって、もたらされると信じられ、その御霊を鎮めるために大念仏が行われました。
 中世の松浦党にゆかりの芸能ともいわれますが、その最も古い記録は、天和(てんな)四年(1684)七月七日『小城藩日記』「雨乞料」(あまごいりょう)の記事だとされています。
 旧山代郷の大念仏は、白装束の鼓役(つつみやく)4人と鉦役(かねやく)4人が交互に円陣を組み8周します。中央に幌竹(ほろだけ)と幟(のぼり)を立てて数人の笛役と古老がつきます。鼓役は直径120センチメートルあまりの幌笠(ほろがさ)をかぶります。1周目は、一歩二踏みずつ行進する、静かな所作で始まります。これは御霊迎えの所作といいます。次第に所作が大きくなり、5周目に念仏を唱え、御霊の供養をします。7周目には「チョーリーライ」の笛が入り、8周目には、「マクリ」の笛で急調子となり激しく左転、右転します。これは「舞踊り」と呼ばれ、御霊送りの所作といいます。その間は鉦や太鼓も打ち続けられて踊りを終えます。
 旧山代郷の大念仏は、宗教儀礼であった踊り念仏が芸能化した直後の姿をよく残していると考えられる点や、県内でも旧山代郷だけでしか行われていない点が貴重です。
(正式な指定名称は「久原の大念佛」となっています。)

※奉納日や場所が一定ではありません。くわしくは教育委員会TEL0955-23‐3186まで。