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脇野の大念仏

脇野の大念仏
(2008年6月10日更新)
県指定重要無形民俗文化財
脇野の大念仏
(わきの の だいねんぶつ)

東山代町脇野 (伊万里駅より車で20分)
昭和34年(1959)3月20日指定

脇野の大念仏 写真

 脇野の大念仏は脇野(わきの)地区に伝わっています。念仏を唱えながら太鼓や鉦(かね)を打ち鳴らして舞う芸能で、念仏踊りに分類されます。
 念仏踊りのもとになった踊り念仏は、平安時代に空也上人(くうやしょうにん)が念仏を広めるために、宗教儀礼として踊ったのが始まりとされ、その後、鎌倉時代に一遍上人(いっぺんしょうにん)が行ってから全国に広まったといいます。踊り念仏が人びとの娯楽のために行われたり、衣装が派手になったりしたものが念仏踊りです。
 旧山代郷(東山代町・山代町)の大念仏は、大干ばつの際に雨乞いの最後の手段として、東山代町里地区の青幡(あおはた)神社に奉納されてきました。中世の松浦党にゆかりの芸能ともいいますが、その最も古い記録は、天和(てんな)四年(1684)七月七日『小城藩日記』「雨乞料」(あまごいりょう)の記事だとされています。
 旧山代郷の大念仏は、白装束の鼓役(つつみやく)4人と鉦役(かねやく)4人が交互に円陣を組み8周します。中央に幌竹(ほろだけ)と幟(のぼり)を立てて数人の笛役と古老がつきます。鼓役は直径120センチメートルあまりの幌笠(ほろがさ)をかぶります。1周目は、一歩二踏みずつ行進する、静かな所作で始まります。これは御霊迎えの所作といいます。次第に所作が大きくなり、5周目に念仏を唱え、御霊の供養をします。7周目には「チョーリーライ」の笛が入り、8周目には、「マクリ」の笛で急調子となり激しく左転、右転します。これは「舞踊り」と呼ばれ、御霊送りの所作といいます。その間は鉦や太鼓も打ち続けられて踊りを終えます。
 他県の念仏踊りの多くは、娯楽化が進み、衣装も華美になっていることが多いのですが、旧山代郷の大念仏は衣装や手の舞、足の踏みなどに厳格なきまりが残っています。宗教儀礼であった踊り念仏が芸能化した直後の姿をよく残していると考えられる点や、県内でも旧山代郷だけでしか行われていない点が貴重です。
 現在では毎年、8月21日の夜に脇野地区の宝積寺(ほうしゃくじ)で公演されています。