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横岳家文書ほか


横岳家文書ほか
(2008年6月10日更新)
市指定重要文化財 古文書ほか
横岳家文書ほか
(よこたけけ もんじょ ほか)

山代町 個人蔵
昭和60年(1985)3月1日指定

建武三年(1336)足利尊氏軍忠状

 横岳(よこたけ)氏は小弐満貞(しょうにみつさだ)の弟、頼房(よりふさ)を祖とし、佐賀県三養基郡みやき町(旧三根町)西島地方を本拠としました。小弐(しょうに)氏は武藤氏ともいいます。大宰府の小弐という役職を代々つとめたので小弐氏と名乗りました。
 五代の横岳家実(鎮貞)(よこたけいえざね[しげさだ])のとき、豊後の大友氏の支配下に入り、龍造寺氏と争った後、龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)に屈服し、つづいて鍋島氏の家臣となりました。
 鍋島勝茂(なべしまかつしげ)の子、元茂(もとしげ)が小城を領するようになると、六代の横岳家房(よこたけいえふさ)は元茂に従って小城にうつりました。江戸時代に山代郷(やましろごう)は小城藩領だったので、横岳家文書などが、現在の山代町に残ったのでしょう。
 横岳家文書は、巻子仕立(かんすしたて)一巻をふくむ総数152通の文書です。室町時代の文書が大部分です。最も古いのは、元弘(げんこう)三年(1333)十月『武藤経清着到状』(むとうつねきよちゃくとうじょう)と建武(けんむ)三年(1336)『足利尊氏軍忠状』(あしかがたかうじぐんちゅうじょう)です。
 この二つの文書は、鎌倉幕府を倒して建武政権をたてた後醍醐天皇を、足利尊氏が京都から追い、南北朝時代(1331~91)がはじまるきっかけとなった一連の事件に、武藤経清が出兵したことを証明する書状と、それに対して、室町幕府の初代将軍の足利尊氏が経清へ恩賞を約束する書状です。日本史上、大きな事象に関わるものとして重要です。
 文書のほかには、横岳氏か小弐氏の軍旗や旗指物(はたさしもの)と伝えられるものや、横岳鎮貞が着用したと伝えられる鎧下(よろいした)の胴巻(どうまき)や陣羽織(じんばおり)があります。
 これらの資料は、中世の北部九州を代表する横岳氏や小弐氏の動向を知ることができるものとして貴重なものです。

※個人の所蔵品です。原則として公開されていません。