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中林梧竹墨跡 聖代文明

中林梧竹墨跡 聖代文明
(2008年6月10日更新)
市指定重要文化財 書跡
中林梧竹墨跡 聖代文明
(なかばやしごちく ぼくせき せいだいぶんめい)

立花町1355番地1 市議会玄関(伊万里駅より車で10分)     
昭和48年(1973)7月20日指定

中林梧竹墨跡 聖代文明

 中林梧竹(1827~1913)は、佐賀県小城市(旧小城町)新小路(しんこうじ)に生まれました。明治時代の三大書家といわれています。書聖(しょせい)とも称されました。清国(現在の中国)に2回渡り、長崎の清国領事館理事官だった余元眉(よげんぴ)の師の潘存(はんぞん)に指導を受け、書道の革新に先鞭をつけました。
 明治41年(1908)には郷里の小城市にくらし、この期間に伊万里地方にも長く滞在しています。この書は、そのころに書かれたものと思われます。当時は日露戦争が終わった直後で、「聖代文明」(せいだいぶんめい)とは、日本が、明治政府の富国強兵政策によって、急速に近代化をとげ、日露戦争を機会に、世界にいっきょに名声が高まった、その世相を反映した語句だと考えられます。
 絹本(けんぽん)に謹厳な篆書体(てんしょたい)で右から書き連ねてあります。右側には「梧竹深處」(ごちくしんしょ)「曽経滄海」(そうけいそうかい)の冠帽印(かんぽういん)をもち、左側には落款(らっかん)と「中林隆経」(なかばやしちゅうけい)の銘印、「字子達」(じしたつ)の雅号印をもっています。現在は、縦81.4cm、横288cmの額装にされています。
 美術的な価値が高く、また中林梧竹を研究する上や近代書道史上でも貴重です。

※市議会の玄関にあります。見学のおたずねは議会事務局TEL0955-23‐2594まで。