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副島種臣墨跡 宏濟閣


副島種臣墨跡 宏濟閣
(2008年6月10日更新)
市指定重要文化財 書跡
副島種臣墨跡 宏濟閣
(そえじまたねおみ ぼくせき こうさいかく)

佐賀市城内1‐15‐23 佐賀県立博物館・美術館
昭和48年(1973)7月20日指定

副島種臣墨跡 宏濟閣(写真提供 佐賀県立博物館・美術館)

 明治23年(1890)に郡制が公布され、明治34年(1901)には、佐賀県西松浦郡の郡会議事堂が、現在の東新町に建設されました。「宏濟閣」(こうさいかく)とは、その佐賀県西松浦郡会議事堂につけられた名称です。「広く大きい建物で、広く優秀な議員を集め、郡民のために、よりよい政治を議する」という理念をこめて名づけられました。この書は、その議場の正面に掲げられていたものです。
 作者は副島種臣で明治33年(1900)の作です。現在は縦118cm、横360 cmに額装されています。絹本(けんぽん)に力強い楷書体で右から左へ書き連ねてあります。右上に1か所の冠帽印(かんぽういん)をもち、左側に落款(らっかん)と、「副島」「種臣」の銘印(めいいん)をもちます。
 副島種臣(1828~1905)は、佐賀藩出身の政治家で通称を二郎といい、号には蒼海(そうかい)、一々学人(いちいちがくじん)があります。枢密顧問官などを歴任し、明治25年(1892)第1次松方内閣では内務大臣を務め、辞職してからは再び枢密顧問官になりました。
 この書は大正12年(1923)に郡役所が廃止になると、大正14年(1925)からは伊万里町役場に飾られ、昭和29年(1954)からは伊万里市役所に飾られました。歴史的にも美術的にも価値が高いものです。
 現在は佐賀県立博物館・美術館に保管されています。