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平面図と解説


平面図と解説
(2022年8月23日更新)

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一階の構成は、京都や博多といった、他の近世都市の町屋と同様の通り庭形式で、東側一間の土間が表から裏庭へ通り抜けています。

表から続く板の間は、商品の荷造り。荷ほどき、商品の選別などの作業場として使用されたと思われます。ここでは、ソロバンの音が響き、商談が繰り広げられました。

正門の大戸は揚げ戸という江戸時代のシャッターで、滑車と錘を使って上げ下げができ、昼間は上の戸袋に収納され、夜間は厳重な戸締りの用をなしました。

表側には繰り上げ蔀という、横長の三段に分かれた戸板を上の戸袋に収納ができるようになっています。

奥の板の間の東側は一部が吹き抜けになっており、採光の工夫がなされ、同時に、荷を滑車によって二階へ運び込めるようになっています。

奥の板の間の西側には神棚があり、桝に入った大黒様がまつられています。五穀豊穣と富をつかさどる大黒様を、お米をはかる桝に入れることで、ますます繁盛、酌めども尽きぬ富裕を願う商家の人々の心情を知ることができます。

板の間の西側には、いくつもの引き出しをもった箱階段があります。この上の天窓は、後世に造作されたものですが、細長い町屋では、採光が大きな問題であったことがうかがえます。

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二階へあがると五畳の控えの間とそれに続く十畳の座敷があります。座敷では、狭い敷地を有効に利用するために、東側の床の間と違い棚の奥行きが浅くなっています。

この違い棚は屏風棚と呼ばれるもので、地袋はなく、四枚の小幅の棚板を巧みに組み合わせており、天袋には幅広の二枚の引き違い戸がはまっています。

天井は床差し天井で、棹縁が床の間に直角に配置されています。書院を含めて欄間にはすべて透彫りが施されており、長押には釘隠しのために、六葉飾金具があります。

ここは当時の伊万里商人の、優雅で粋な生活の一端をしのばせてくれます。それは、諸国から買いつけにくる陶器商人達は、普通1~6か月間も伊万里津に滞在して注文品の出来上がりを待っているのがつねでしたが、鍋島藩は伊万里津に遊里を置くことを認めなかったので、地元商人達は彼らを招いて国学・漢学・書画・和歌・俳諧などをもって接し、また商家の子女たちは琴・三味線・舞踊などを修めて旅商人たちを慰めていたといいます。書院造のこの座敷で耳をすませば宴席でうたわれた「伊万里まだら」が聞こえてきそうです。

三方を白壁に囲まれた、この建物では、裏側は大きく外へ開かれています。これは熱や湿気の籠もりやすい土蔵造において、切実な通風と採光のためです。

二階表側の八畳間は、諸国からの陶器商人を泊める部屋に使用されました。それに続く板の間は、他の床面より一段高くなっており、表側の八畳間と座敷とを繋ぐ橋の役目をはたしています。

建物全体をみてみると、一・二階ともに多くの押入れがつくられており、さらに板の間も保管場所とすると、建物の床面積に比べて、かなりの収納スペースをとっていることになり、そこにこの建物の陶器商家としての工夫を見ることができます。