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煤屋


煤屋
(2021年8月11日更新)

煤屋の黒男神社

フルスクリーンで見たい場合はこちら https://youtu.be/WCwGBtPluw0

 

 波多津町煤屋地区の住民にとって、地域内にある黒男神社への信仰は生活の一部となっています。黒男神社内にある灯篭は、毎日夕方に必ず火を点灯することになっており、全戸で年間を通じて順番でその役目を回されています。
 また、1月20日の百手祭や、10月から11月にかけての神送り、神迎えなど、煤屋地区の住民は黒男神社を中心に地域の繋がりが保たれています。

1.神社の歴史

 宝暦3年6月(1754年) 神社建立 小島移転
 天保13年正月(1843年)鳥居建立
 明治12年7月(1880年)神社再建
 明治42年       神社移転
 昭和23年       再移転

「唐津領惣寄高」の中には、「氏神 九郎大明神 掛り 福田村 坂口守人」とあり、言い伝えでは、「往時、畠津の漁夫が、煤屋崎竹生島近くで操業中、漂流していた御神体(御神符か)が、漁網にかかったので大事に拾いあげ、煤屋海岸古神山の一角に小さな祠を建てて祀ったのが起源で、当時は浜の漁夫が、御神酒、御供飯、掛の魚を供えて参詣されていた」ということです。(波多津町誌より)

2.神社の祭典


1日の夕方燈明  毎日家順
1月20日    百手まつり
5月       春祭り
10月      秋祭り
10月27日   イトマゲ(神送り)   ( ≒終わり、別れ)
11月28日   ウチムキャ(神迎え)  ( ≒神迎え祭≒神在祭)

百手まつり

 「百手まつり」とは、毎年1月に行われる的射り行事のことです、「百手」は、年の初めに百本の矢(非常に多いという比喩的な数の矢)で的を射て、一年間の集落内の鬼(災いや病気の象徴)をはらうという魔除けの行事とされています。弓矢のような武器がもつ、魔をしりぞける呪力に期待する、古式ゆかしい行事で、日本古来の信仰の一端をかいま見せます。
 市内では旧唐津藩領の波多津町煤屋と黒川町小黒川、浦分にだけに伝わっています。市内の旧佐賀藩領では行われていませんから、まつりの伝播ルートを推測できます。また、これらの地区は海岸部にあるので、まつりの伝播者を推測できます。
 旧唐津藩領内では、玄海町大薗、鎮西町深田や早田、菖蒲、加倉、岩野、野元、呼子町殿浦、唐津市小十や東唐津、養母田、浜玉町草場、中原、七山村馬川区下門、相知町町切などで、類型の的射り行事が行われています。それらの中でも海岸部で行われているものとの関わりが推測されます。
 波多津町煤屋の百手まつりは、毎年1月20日に地区の氏神、黒男大明神社で行われています。煤屋地区全戸が、まつりに加わっていて、七戸ずつが、家まわしの当番で、すべての世話をします。
 まず毎年の当番の者が、まつり当日までに桑の木で弓をつくり、楮の皮で弦を張り、細い女竹にマテの葉を羽にして矢をつくります。的は、藁を円座に編んで「鬼」と書いた白紙をそれにはりつけます。
 1月20日には、当番の者が、百手の道具やお神酒、「御供(ゴクウ)さま」を持参し、「オシオイ(笹の葉を海水につけたもの)」をもって神社へ参ります、「オシオイ」は「ミソギ・ハライ(身を清めること)」のためのものと思われます。
 当番の者は、百手の道具とお供えを神前にささげて礼拝した後、的を神社の拝殿にかけて的射りをします。的の白紙にかかれた「鬼」の字に、うまく命中すると、地区内の農家はその年、作物の病虫害が少なく豊作になり、家内安全に過ごせるといい伝えられています。
 的射りの後、煤屋地区公民館へみなが集まり、御供さまのお下がりをいただき、にぎやかに一年間の無事と健康を祈ります。これは、神とおなじ飲食物をともに食べることで、神と人とのきずなを深めることができると考えられた「直会(ナオライ)」にあたります。
 黒川町小黒川と浦分の「百手」も、一月に黒川町若宮神社で行われています。