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伊万里港の変遷(上)

伊万里港の変遷(上)
(2017年8月9日更新)
 伊万里港は、昭和42 年に外国との貿易が可能となる開港指定を受けてから50 年の節目の年を迎えています。市の発展と切り離すことができない関係にある伊万里港は、時代の流れとともにさまざまな役割を担いながら発展し、現在は国際貿易港としての存在感を世界に示しています。
 このシリーズでは、50 年の節目を契機として、改めて開港指定から現在に至るまでの変遷を振り返り、将来に向けさらに発展していく可能性を秘めた伊万里港を紹介していきます。

開港から『九州の奇跡』へ

開港当時の伊万里港。七ツ島地区や久原南地区にはまだ工業団地はない。 伊万里港は、昭和42年6月1日に開港指定を受け、世界に開かれた国際港となりました。当時は検疫港、出入国管理港の指定を受けておらず、税関施設や港の施設整備の不足など、まだまだ多くの課題を抱えていました。また、その年の伊万里市は未曽有の大水害にみまわれ、伊万里港の船出にも少なからず影響があったと考えられます。
 開港当時の伊万里港には、七つ島地区はまだ存在しませんでした。昭和47年に工業団地の造成が始まり、昭和48年に株式会社名村造船所が操業を開始します。開港から10年目の昭和52年には、伊万里工業団地の造成が始まります。

工業団地が整備され始めた頃の伊万里港。この後さまざまな企業が進出していく。 しかし、不況の波が押し寄せ、伊万里港の中心的貨物であった木材市場が不況のあおりを受ける形となりました。
 昭和60年頃からは、伊万里港の地理的優位性が見直されるようになり、海上貿易拠点として徐々に上昇気流に乗っていきます。平成に入ると、伊万里港は大きな変革が起こります。水産加工企業の新たな進出のほか、七つ島地区においては、港湾の主流となっていたコンテナ荷役を導入するべく整備が進められ、平成9年4月に韓国・釜山港との間に国際コンテナ定期航路が開設されました。この時代以降、伊万里港は活況を呈し、後に『九州の奇跡』とも呼ばれる大躍進を遂げていきます。
(9月号(下)に続く)

平成9年頃の七ツ島地区。コンテナターミナルが整備されている。 平成9年頃のコンテナターミナルの様子。コンテナの数も少ない(現在は4段積み)。