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伊万里港の歴史


伊万里港の歴史
(2017年7月14日更新)

伊万里港

『今』も『昔』も世界とつながる 知っていますか?国際貿易港 伊万里港

 古くは焼き物の積み出し港として栄え、現在は国際的な物流の拠点としての役割を担っている『伊万里港』。来年は貿易港としての開港指定から50 年を迎えます。今回は、その歴史的な背景から現在に至るまでの役割の変遷を通じて、可能性を大きく秘めた伊万里港の未来を考えます。

縄文時代…黒曜石を通じた中国大陸との交流

 約3000年前の 縄文時代には、黒曜石が石槍りや矢じりなどの 材料として使われていました。西日本や朝鮮半島では、伊万里の腰岳産の黒曜石が発見されています。このことから、縄文時代に伊万里から船で運ばれ、中国大陸との交流が行われていたといわれています。

江戸時代…焼き物の積み出し港として発展

 伊万里港の最奥部には、伊万里川と有田川の2つの河川が注いでいます。このうちの伊万里川河口部からは、肥前陶磁器の積み出し港として、17 世紀後半から18世紀にかけて多くの焼き物が、遠くはヨーロッパまで 積み出されました。これらは、『古伊万里』として世界に知られています。

大正~昭和20年代…石炭産業の隆盛と伊万里市誕生

 大正時代以降の石炭産業の全盛期には、石炭の積み出し港として大いに栄えま した。昭和26年には、国の海上輸送網の拠点となる『重要港湾』に 指定されています。さらに、昭和29年には伊万里湾を囲む2町7村が 、伊万里湾の開発を進めることを目標に合併し、伊万里市が誕生しま した。

昭和30年代…工業団地などの開発が本格化

 昭和30年代になると 、国のエネルギー政策の転換によって、石炭産業が衰退しました。石炭の積み出しが減るにつれ、港の勢いも低下してしまいます。しか し、昭和30年代後半以降、伊万里湾の開発が本格的に始まり、港湾施設や臨海部の工業団地が整備されました。企業の誘致を積極的に行った結果、木材加工業や造船業などの企業が 立地するなど、工業港として発展していきます。久原北地区においては、原木、石炭、砂利・砂などの貨物の取り扱 いが行われるようになりました。久原南地区では、伊万里団地が造成され、水産や木材関連企業、半導体の大手企業などが進出。七ツ島地 区では、七ツ島工業団地が造成され、造船業などの企業が進出しました。現在、市内企業の製造品出荷額は県内でも一、二を争う状況にあり ます。

昭和40年代…国際貿易港としての機能を強化

 昭和42年には国から『開港指定』を受け、外国貿易が可能となりました。さらに、同年9月に木材輸入特定港、11月には出入国管理港、昭和46年10月には検疫港として指定。このことにより、世界に開かれた国際港として位置づけられました。

平成9年…コンテナターミナルが供用開始

 七ツ島地区では、平成9年4月に伊万里港国際コンテナターミナルが供用を開始し、韓国 ・釜山港との間に国際コンテナ定期航路が開設されました。また、平成25年4月には作業効率が飛躍的に上がるガントリークレーンを備え た水深13メートルの岸壁が供用を開始しています。

伊万里港の変遷

参考

伊万里港の変遷(上)
伊万里港の変遷(下)

伊万里市の市章