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牧島地区の紹介


牧島地区の紹介
(2014年2月18日更新)

1.町民憲章

  わたしたちは、豊かな自然と伝統文化に恵まれた郷土に誇りをもち、
心豊かで明るく住みよいまちづくりを目指し、次の憲章を定めます。

  一.恵まれた自然を守り・活かし、豊かなまちづくりに努めましょう

  一.お互いが助けあい、支えあう思いやりのあるまちづくりに努めましょう

  一.伝統文化を大切に継承し、心豊かに潤いあるまちづくりに努めましょう

2.牧島地区のシンボルマークと花

シンボルマーク

マークの意味:牧島の象徴である
カブトガニを全体のイメージとし、牧島山の緑と海の青を表している。

シンボルマーク

花名  はまぼう

選定理由:牧島地区に広く咲く花で、住民に親しまれている。

はまぼう

 

3.伊万里のお宝50選(牧島地区分)

木起神社 (きおこしじんじゃ)

木須町木須西にあります。元は木須町と脇田 (わきだ )町にまたがる大平山にありました。祭神は大山祇命 (おおやまずみのみこと )です。神功皇后 (じんぐうこうごう )が朝鮮半島から日本に帰ってきたときに、この地に漂着 (ひょうちゃく )しました。ありあわせのトコロ(ショウガに似た根菜 (こんさい ))と海草の献立 (こんだて )に無花果 (いちじく )の箸 (はし )12人分をつけて献上 (けんじょう )したところ、たいそう喜ばれたという伝説があります。 12月 15日の「木起神社祭り」では、今でも同じ献立が供えられます。
 近くを流れる木須川にはホタルが飛び交い、夏の夜を彩ります。神社の前に広がる宮 (みや )の前北遺跡 (まえきたいせき )からは縄文 (じょうもん )時代の墓が確認されています。

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木起神社

 

サキモリ堤防跡

 瀬戸町にあります。伝説では、成富兵庫茂安 (なりどみひょうごしげやす )の指導により塩田 (えんでん )を創設し、その時に堤防を築きました。これを記念して石祠 (せきし )を建立したと言われています。塩田跡に近い小高いくぐり岩の上に建立されたもので、うち二基は塩竃六社祠 (しおがまろくしゃし )です。1基は高さ 104cm、笠と塔身の高さ 75cm、砂岩製です。「慶長 (けいちょう )十九甲寅歳 (きのえとらとし )( 1614)建之 (これをたつ )、安政 (あんせい )四歳( 1857)再建」「柴藤 (しばとう )氏 吉浦氏代々 氏子中」と刻銘されています。もう1基は「明治三十九年( 1906)三建」で、柴藤、吉浦両氏と瀬戸氏子中の建立です。慶長 19年に、筑前 (ちくぜん )(福岡県北西部 )の姪浜 (めいのはま )から柴藤藤右衛門 (とううえもん )、吉浦利 (り )右衛門らの製塩技術者が瀬戸にうつり住んで塩田を開いたといわれており、塩竃六社祠はその守護神として建立されたものと思われます。

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サキモリ堤防跡

 

庚申塔と藤棚 ( こうしんとうとふじだな )

 瀬戸町の瀬戸バス停の近くに藤棚があり、春には藤の花が見事です。その下に庚申塔があります。「寛政 (かんせい )十三年( 1901)酉 (とり )四月吉祥日 (きっしょうにち )」に建立され、大正7年( 1918)九月に改修されたものです。庚申は十干十二支の一つで「かのえさる」にあたります。庚申の夜に眠ると、人体に巣くう三尸 (さんし )という天界のつかいが天にのぼり、天界で人の寿命 (じゅみょう )を司る上帝 (じょうてい )にその人の罪を告げ、寿命を削ると信じられました。そこで庚申の夜に徹夜 (てつや )する庚申待ちという習俗 (しゅうぞく )があります。庚申待ちをする仲間は講 (こう )をつくり、信仰の証 (あかし )として庚申塔を建てました。

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庚申塔と藤棚