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小島古墳


小島古墳
(2008年6月10日更新)
県指定史跡
小島古墳
(こじま こふん)

山代町久原5936・5944番地(伊万里駅より車で30分) 
昭和51年(1976)2月25日指定

小島古墳

 小島古墳は伊万里湾中央部西辺にある小島の頂上に築かれた前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。小島は東西約200m、南北約100mの小さな島で、現在は陸続きになっていますが、かつては沖合約400mに浮かぶ島でした。
 古墳は、豪族が自分の勢力の大きさを誇るために築いた巨大な盛土のある墓です。小島古墳が島の頂上にあることから、島が見える伊万里湾岸に暮らし、海上交易や漁労をしていた人々の王が葬られたと考えられます。
 古墳は主軸を東北東にとり、全長約43m、前方部(ぜんぽうぶ)幅約25m、高さ約3.5m、後円部(こうえんぶ)径約22m、高さ5.2mです。墳丘(ふんきゅう)には葺石(ふきいし)があり、円筒埴輪(えんとうはにわ)の破片も採集されています。
 後円部に設けられた内部主体は、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)で、南南東に開口しています。死者を葬った玄室(げんしつ)は、奥行き・奥壁(おくへき)幅ともに約3m、高さ約3.8mで1枚の天井石で覆っています。羨道(せんどう…玄室への通路)は、長さ約6.4m、幅約0.5mと細長いものです。
 石室内からは鉄鏃(てつぞく)・刀子(とうす)・鋲留金具(びょうどめかなぐ)や碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)が出土し、墳丘から須恵器(すえき)の坏(つき)・蓋坏(ふたつき)・壺・土師器(はじき)などが出土しています。
 小島古墳は、出土遺物や石室の構造などから6世紀中頃から後半に築かれたと思われます。県内で島に築かれた前方後円墳としては小島古墳以外では唐津市呼子町加部島(かべしま)の瓢塚(ひさごづか)古墳だけが確認されています。